歌う

重陽の日、重陽節

「重陽」という言葉を教えてくださったのは、短歌の師、中野照子先生。第一歌集『潮(うしお)は胸の辺りまで』の跋文に「重陽の日に朝露ヶ原の寓居にて」と記してくださった。一番大きな陽、9が重なる佳節ということらしい。去年も同じようなことを書いていたなぁ。

「登高」ということをやってみたい(箱根山で菊酒、気持ち良さそう)が今年も果たせず、菊酒もなし。しかし農暦(旧暦)の重陽節の空気感を味わってみたい。それでこそ菊の季節に相応しい。自然と分かてぬ「ひと」の「からだ」で、〈古人〉に少しでも近づけるかもしれない。

重陽節にふさわしいメールが夜遅く飛び込んで来た。〈Bravissimo!!!!!!!!!〉〈Maestro Battistoni は宇宙!〉と。バッティストーニ指揮の「オテロ」を聞きに行った友から。「聞かないのは人生の損失!」と言う我が挑発に素直に乗ってくれて。レッスンに2人で行ったりする静かに話せる友だ。来年のカルミナブラーナも何が何でも聞きたいと興奮冷めやらぬ口調。

そのバッティストーニ氏、いよいよカルミナブラーナの合唱練習のためにもうすぐ来てくださる。これぞ現代風「重陽節」と跳び上がる。

彼岸花と梶の木、赤い実をいっぱいつけている。