白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(2017年6月)

ツイッター@sizukashirakawaより抜粋、転載しています。

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*山遊び、川遊び、鳥遊びのように、【遊】とは古く神事の意であったらしく、これを人の行為に移していうとき、国見、山見、花見のようにいうのであろう。遊ぶというとき、その主体は神であるが、人のときにはその自然は対象化される。対象化するのは、その魂振りのためである。

*歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。

6/27
*神の坐すところは【座】という。神座の意は中国では早く失われ、専ら座席・座客の意に用いるが、わが国では「神座(かみくら)」「磐座(いわくら)」などの意に用いる。神位を【座(くら)】といった。

*【くらゐ】は神座である【座】の序列であり【くらぶ】とはその序列を正すことであった。もと神事から出ている語である。そして神事に参加するときの序列を【座長(くらかみ)】【下風(くらしり)】のようにいう。のち社寺に属する芸能の組織や、ギルド的な同業組合をも【座】という。

*世界というものは、複数のものによって構成される。異質なものによって構成されて、初めて世界となるのです。

*ヒエログリフでは【人】は身体を輪郭的に書く。横に向いて坐った形にして、男ならばあご髭をつけ、女ならば後に髪を垂らす。しかしこういう描写法では、字形を複合させることは困難です。漢字では人は二画、女は三画でかく。高度の抽象の結果、輪郭でなく骨をかく。これがのちの書法の出発点となる。

6/23
*青銅器の原質は、神の器たることにあった。神の姿を表現することは容易ではないが、神の存在を示す方法はそれほど困難ではない。すなわち「坐(いま)すが如く」すればよいのである。神の器を供えることによって、神はそこに降臨するはずである。

*文化の最も純粋な完成形態を「樂に成る」と音楽に求めた孔子は、人のありかたについても「藝に遊ぶ」ことに最高の地位を与えている。道も徳も仁も、すべてはその過程であり方法であるにすぎない。「藝に遊ぶ」ことに、その存在のすべての意味がかけられている。

6/19
*【高】おそらく神を迎えて祀るところで、のち祖霊の最も貴いものを【高】とよんだ。わが国でも【たか】は神聖のものをよぶときの美称に用い、必ずしも高低の意のみではない。古くは対義語をもたない絶対のものが【たか】であった。

*【犬】は嗅覚が一番鋭い。人の目が届かない所、たとえば地下から悪霊がやってくる。それを防ぐのに、玄室といって棺を置く部屋の棺の丁度真下に、さらに掘込んで殉死した人と犬を一匹埋めるのです。字にすると【伏】になります。伏瘞(ふくえい)という儀礼です。

*ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。

6/16
*識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。【道】とは、その俘馘の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。

*絶対の認識は明、すなわち直観的な、純粋理性によるほかはない。経験的なものはすべて彼是方生、相対的な認識にとどまる。ただ「自ら知ること」、純粋理性によってのみ、真の認識に達しうるのである。

6/14
*【遊】という語のうちに、なにか異常なものという意味を含める用義法は、わが国の古代にもあった。貴人たちの行為がすべて【遊ばす】という動詞で表現されるのは、本来敬語法的な表現以上の意味をもつものであったからである。それはもと、神として行為すること、神としての状態にあることを意味した。

*【邑】が武装すると【或(くに)】となる。聚落を示す【口】を【戈】で【戍(まも)る】意であり、また地を【域(かぎ)る】ことをいう。のちさらに外郭を加えて【國】となった。

*日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。

*わが国で戦争中、だんだん皇国というものがやかましくなりましたときに、所謂日本主義というものが唱えられた。日本主義というのは、現実をそのまま肯定するという思想です。事実主義です。その論拠として(宣長の)直毘霊が用いられた。つまり思想不要論ですね。

6/11
*炭化したものが長く保存にたえることは早くから経験的に知られていた。前漢の馬王堆墳墓の槨外には厚い木炭層がめぐらされていた。[記]の撰述者大安麻呂の墓も木炭槨であった。国語の【すみ】にも「不變のもの」のような意味があるのかも知れない。【住む】とは定着し永住する意味のある語である。

*【阝】は神の陟降する神梯。そこで祭るのであるから、【際】とは神人の際をいう字である。人のあるべき極限のところが【際】。仏教では、大地の極限のところを金輪際という。

*学問をする以上は、単なる紹介というようなものであってはならん。単に自分が理解し咀嚼するということで終わるものであってはならん。そこから何らかの意味において、新たなものを生み出し、そしてその源泉に向かってそれを寄与するというものでなくてならん。

6/8
*神のささやきは、おそるべきものであった。しかし人のささやきもまた、呪詛に似ておそるべきものがある。

*わが国の神話は多元的であり、複合的であるといわれている。それはさらに遡っていえば、わが国の民族と文化とが、多元的であり、複合的な成立をもつものであることを、意味していよう。

*白馬に乗った殷の祖先の子孫がやってきて、周のお祭りに参加して、一応捕虜になる様子や、抵抗するしぐさをし、なだめられて降伏するという儀礼を献ずる。こういうことが、いわゆる歌舞演劇の一番古い形です。わが国でいうならば、国栖舞・隼人舞のような降伏儀礼が、建国当時の姿を大体残している

*【不】は花が散ったあと萼柎(がくふ)のみを残している形。

6/6
*【象】はいうまでもなく、労働力としては最も利用しやすい動物で、これを大きな土木工事のときに使う。【為(な)す】【為(つく)る】の【為】は、象を使役する形です。

6/3
*【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

*文字ができた時、鬼神がみんな哭いたという伝説がある。漢字は、強大な威力を発揮して、鬼神をも命令に従わせるような呪力を持つものとして、成立したのです(※[淮南子]昔者蒼頡作書 而天雨粟 鬼夜哭)

6/1
*【帚(ははき)】は酒をふりそそいで、灌鬯の儀礼を行なうときに用いる物で、その呪器・儀器としての性格は、わが国のものと全く同じである。湯神楽などに用いるものも木の葉であるが【帚】の初形も小枝のついた木をもつ形である。【掃】は【帚】の動詞形を示す字である。

*【わたる(渡・度)】水面などを直線的に横切って、向う側に着くことをいう。此方から向うまでの間を含めていい、時間のときにも連続した関係をいう。【わた】はおそらく【海(わた)】。【わたす】【わたる】は海を渡ることが原義であろう。