変化するにちにち

ふるさとの湧き水

東京に土曜日夜着いて、あくる朝一番に飲んだ水、ミネラルウォーターだったけど、まずい!2週間、ふるさとでおいしい湧き水を飲んで、舌が浄化、本来の感覚を取り戻していたんだとじーんと来る。

ふるさとではトイレ臭、風呂、シャワーさえときどき(いな、ほとんど)ダメ状態になったりするなど、母の一人暮らしは不自由も多いが、水は、岩から滲み出たもの、本来の?水として身体をうるおす(帰って来たから大声で言えるのだが)!生きている野菜、魚(生は苦手だけど)など豊かと再認識。

何が言いたい?自慢するつもりはない、とは言えない、やっぱり自慢か。水がおいしい!ふるさと阿久根の、山峡の家の水道水は湧き水。

あ、そう言えば帰った日、家に着いたのは夕方、母は椅子に座ってうたた寝をしていたようだ。テーブルに置いてあったのが『九十歳。何がめでたい』の本。誰が置いたのか?似合うような、失礼なような取り合わせ。

百足を「うっ殺せだ」(打ち殺した)と15センチはある太く黒いものをハエ叩きの上に乗せて外に行き、川のほうに向かって放り投げていた。トキさん、あなたはたくましい!水のことを思い出していたら、母が現れた。

あーどんどん思い出す、食べ物のことばかり。枇杷、さくらんぼ、とうもろこしばどなど、いっぱいいっぱい、あと10年は食べなくてもよいとおもえるほど。この発想、あながち単純とは言えないのではないか?