変化するにちにち

『硝子戸の中』集中して読んでいたころ

多くは読んでいないけれど、日本人作家の本で、『硝子戸の中』は今思いつく範囲では、もっとも心打たれた一冊かもしれない。

漱石の言葉はぐいぐい身体に入り込んでくる。そうそう、そうです、そうですと無言の相槌を打ちながら読める。身体を通して書いているのだから当然です、と内田樹なら言うだろうか(言わないよ、とは言われないでしょう?)。

十数年前、震えるような恐い体験がある。朗読に『硝子戸の中』を選んだ。身体に入れるために最低100回は読もうと思って(幸田弘子の本にそう書いてあった気がする)、『硝子戸の中』を毎日練習していた。

4,50回に達したころ、夜繰り返し小さく声を出していつものように練習していた。いつの間にか本から蒸気のようなものが立ち上がる、蒸気に身体が湿る、漱石が『硝子戸の中』を読み出す、声が梵鐘のようにぼわーん、ぼわーんと広がる、怖くてすぐに本を閉じた。

漱石だからいいものを、もし怪談ものだったらと思うと……。身体に入れようと必死だったのだから、それこそ憑かれたように読んでいたのかもしれない。そういうことがあっても少しもおかしくはないと思うけど、狂ったように読む?ことはもうしない。今は歌だけで精一杯。

あ、あ、あ、今日2月9日、漱石の誕生日、と知る。