変化するにちにち

ヴェルディ「レクイエム」(2)

指揮者って究極は身体表現?そして身体表現は人間の原初的な喜びであり感動に違いない。

いつもの合唱指揮の先生に、「指揮者の卵」として紹介された青年の振る「Sanctus」に強くそう感じた。骨の髄まで食い込んできて、その「気」たるや一瞬にして場を変えてしまう。ああこの人はきっと近い将来素晴らしい指揮者になるだろうな。遠くはぼんやりの眼鏡なので表情は見えない、が、身体の弾み、気が来る。

コンサート当日の並び順も先週配られた。練習が始まって7ヶ月間一度も顔を合わせることはなかったが知っている名が2人。1人は同じ列、もう1人は同じ合唱団で歌っていた人、バスの欄に名があった(以前テノール君と書いてしまった)。小さい合唱団で皆仲が良かった、会いたい。

気づけば出会うもの?バス君が目の前に来た、声をかけた。懐かしくて握手。彼いわく、「入院する予定をキャンセルして今回のヴェルレクに参加」、どうしてもバッティストーニ指揮で歌いたかったのだと。おおお!いいね、いいね!80歳は越えていらっしゃるだろうが矍鑠(かくしゃく、こんな字であったか)たるその表情。

緊張感、高揚感に満ちた「場の空気」、それを取り込んだ身体は帰り道も心地好い。あと1回の練習を経てマエストロ稽古。