変化するにちにち

春節が懐かしい

28日は旧正月。中国では春節、そしてこの日は新月だ。新月で新しい年が始まると思うだけで何かが弾む。ほとんどの行事は旧暦と季節感が重なる。「初春」の「慶び」も実感としてある。

下の写真はシニア活動館に貼ってあった。説明書きには、館の催し「中国を知ろう」の参加者が書いた「福字」「春聯」で「春節飾り」にするという。やはり中国語の音はリズムよく歌になる。

🔽大陸の簡体字。左の3字目は「風」、次の上の字は「飛」、最後の一番下の字は「帰」。

子どもが小学校に上がるまでは毎年、夫の実家のある上海で春節を過ごした。初めて行ったとき(25年前)、ショックを覚えるほど「昔」そのものだった。夫の両親の家は築200年以上の建物で寒かったが、本物の木の家の心地よさもあった。馬桶(マートン)という実物も初めて見た。チャン・イーモウ監督の映画では、あれは何?状態だったが、正体を知った。

朝食の前には必ず市場へ。器を持って豆乳を買いに行った。蛙、鳩、蛇も生きたまま売っていた。美しいお姉さんが生きた蛙を、ハサミで手早く捌く、おじいさんが鳩を熱湯に入れてから毛を毟る、蛇は生きたまま皮を剥ぐ、見事な手捌き、プロの仕事人。「これが生きるということ」と感動があった。どこもかしこも活き活きしていた。

義母のことも思い出す。乳癌で60歳を待たず亡くなった。その母が、私が気に入った急須を市場で買ってくれた。値切ってネギって食い下がって(きっと)。その遣り取りがまるで喧嘩?楽しかった。確か60元が30元までになった。家に帰るとまたまた義父と姉2人が30元は高すぎる、その半分で良いと上海語でペチャクチャ言ってた記憶がある。

この急須で何回かお茶を淹れたが、いい味は出ない。やはり質はよくない。うん30元は…高い。中国で買ったほとんどの急須は割れたり欠けたりしたけど、これだけは残っている。使わないから、だけではなくて、大切に思っているからだと感じる。