変化するにちにち

身体の不思議が膨らむ

合唱。朝夜2回出る。九州に帰って休んでいるので慣れなくては。

朝と比べ、夜は馴染みのない顔、少人数の緊張感で硬さもあるのか…、迷走を繰り返しながらの音取り。後半になって少し慣れたかと思うところで終わり、あーあ。

明日は休みだ。飲んで帰ろう。アルトの歌姫(太い、いーい声なのだ)も誘って三人で…、ビールで乾杯。発声、身体の使い方あれこれ、楽しいおしゃべりは尽きない。

翌日は歌のレッスン。朝、喉が痛い。原因は…アルコールと喋りすぎ?午前中の予約を取り消し、ウロウロイロイロあって3時過ぎに先生のもとへ駆けつける。

身体の使いかたはもちろん、先生の哲学的な言葉が踏み台になる。発想が自在で難解だとしても、対処療法的であるよりは一生味わえる言葉の味も変化するに違いない。

早く上手くなりたい一心でむやみに練習することからも解放されつつある。身体確認のための静かな時も必要。練習のときの身体がそうでない時の身体に違和感として来る、それが嬉しい。身体の不思議が膨らむ。

今日、二転三転しながらも、じっくり観察してこれならOKと行く、喉が痛い…とそのままの落ち込みで終わらずよかった。新たな変化の兆しもある1日だったと嚙みしめる。

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