変化するにちにち

実生の枇杷/山本雅子の声

実生の枇杷を見つけた。思い出深い言葉。

実生という言葉を教えてくださったのは、短歌「好日」東京支社の山本雅子、一昨年107歳で逝かれたと聞く。私が第一歌集を出したとき彼女は90歳を過ぎていたと思う。歌を20首近く、震える手を思わせるような揺らいだ字で、それでも丁寧に書いてきてくださった。

いつか歌会の帰りに、郵便局までついてきてほしいとお願いされたことがあった。お金のおろし方が分からないと。メモされていた暗証番号を見せていただいて引き出して差し上げた。「か・な・し・い・の・よー」と呟くように言われた。諸々を含む重い言葉、返す言葉がなく頷くしかなかった。

お宅にお邪魔したとき(たびたびお邪魔している)、本を出した直後だったと思う、わたしが愚痴をこぼしたのだろう。「そ・ん・な・こ・と・お・わ・す・れ・な・さ・い」と、いかにも育ちの良い柔らかな口調、穏やかな眼差しでまっすぐにおっしゃってくださった。

「そんなことお忘れなさい」は生き方である。それ以来ほんの少しではあるにしても、内面に清澄さが増したと思っている(自分で言ってしまうけど)。折々の彼女の声はありがたい、助けられている。

そして「あなたは〇〇◯歌人に・お・な・り・な・さ・い」とも言ってくださった。歌に真剣に向き合いなさいということだ。今の中途半端をどこかで脱却すべきなのに、声に助けられていると言いながら逃げている、避けている。

東京支社の歌会では、山本さんだったらこう批評されるに違いないという話が今も出る。


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