変化するにちにち

怒り

今日ケアマネさんとの話し合いがあると弟より電話が来る。静かに話したつもりだが、溜めてた思いを言う。先が長いので、今言わないと気持ちよく前に進めない気がした。

わいが戻ってしてくれで良がった(あなたが帰って来てくれて良かった)」「こん雨ん降いわいがおってくれでよがった(この様な雨の降る日にあなたが居てくれてよかった)」「雨んふやおどろしかい(雨の日は恐ろしいよ」

母のこのような話を聞くと帰って来てよかったとは思うが、無理している自分もいる、無理すると怒りも出る。

弟に対し、〈気づいて当然〉と思う気持ちがあって、それが怒りとなる。一方で、人への怒りは自分の問題との認識もある。コミュニケーション不足、情報共有ができていないこと。だからどうするのかと自問自答。

大雨のなか、兄の同級生が遊びに来てくれて気分転換になる。

「人は他の人物を論じながら、しばしば多くみずからを語るものである」
上の「」内は今日の白川静先生のツイッター、弟を責める自分のことを言われているような気がする。