白川静先生の漢字の世界

漢字の世界(4月)白川静*@sizukashirakawaより

白川静先生のツイッターより抜粋して掲載させていただいています。興味のある方は本物のツイッターをご覧ください。

4/29
*文字が生まれましたのは、約五千年前、つまり人類の歴史の上からいいますと、最後の約一パーセントの期間に文字が生まれた。そして人類の文化は急速な発達をして、そのわずか五千年の間に、今では地球は汚染され、人類はいつでも破滅しうるような凶悪な武器をもった、そういう世界に化しておるのです。

*人は他の人物を論じながら、しばしば多くみずからを語るものである。

4/23
*歌が個人の詠懐的な、自己内面の世界にとじこもる以前には、歌うこと、それに表現を与えることに何らかの呪的な性格を伴うのが、つねであった。

4/22
*【にし】日や月の沈む方向。【し】は【あらし】と同じく風の意であり、また方向をいう。西方は日の没するところであるからインド・ヨーロッパ語系統のものにも「消える」という意味を含むものが多く、go westといえば死を意味する。中国では西方の山である崑崙が、死霊の帰するところであった。*【晶】星の光。三星をもってその晶光を示す。[説文]に「精光なり。三日に従ふ」とするが三日が並んで出るはずはない。晶光は水晶のように熱のない光を意味し【晶】は星光をいう。

4/20
*古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。

4/18
*【歌】系統の字源は【可】にまで遡り、【可】とは祝詞を示す【口(サイ)】を木の【柯(えだ)】で【呵(か)】して、神に向かってその実現を呵責する意、その祈りが【歌】である。

4/17
*【にほふ(染・薫・匂)】花の咲きにおう意に用いることが多く、その色の赤みのある美しさをいう語であった。【丹(に)ほふ】の意。【にほふ】はその名詞形。のち芳香の意に用いるが、もとその色彩的な感覚をいう語であった。

4/15
*城壁を築く時には、人柱を立てることがあった。特に城門は外部と交通する関門であるから、異族の首などを埋めて修祓とした。中国の春秋時代のことを記した左伝には、外族を獲てこれを城門に埋めると言う話が数見する。羅生門に鬼が棲むというような話は、そういう人柱の名残であろう

*儀礼を行なうときには、その土主に酒をそそいで地霊をよび興し、その後に儀礼を行なった。[周礼]に「小祭祀には則ち興舞せず」とはその儀礼をいう。[詩]において【興】とよばれる発想法も、もとそのようにして地霊によびかける辞をいう。わが国の序詞や枕詞と、その起原的な発想の近いものである。

4/17
*【にほふ(染・薫・匂)】花の咲きにおう意に用いることが多く、その色の赤みのある美しさをいう語であった。【丹(に)ほふ】の意。【にほふ】はその名詞形。のち芳香の意に用いるが、もとその色彩的な感覚をいう語であった。

4/15
*城壁を築く時には、人柱を立てることがあった。特に城門は外部と交通する関門であるから、異族の首などを埋めて修祓とした。中国の春秋時代のことを記した左伝には、外族を獲てこれを城門に埋めると言う話が数見する。羅生門に鬼が棲むというような話は、そういう人柱の名残であろう

*儀礼を行なうときには、その土主に酒をそそいで地霊をよび興し、その後に儀礼を行なった。[周礼]に「小祭祀には則ち興舞せず」とはその儀礼をいう。[詩]において【興】とよばれる発想法も、もとそのようにして地霊によびかける辞をいう。わが国の序詞や枕詞と、その起原的な発想の近いものである。

4/13
*この百年来の歴史をみても、どこにも光明はない。人はいよいよ賢明に、悪事をはたらく。しかし決して失望してはならない。真に霊活なる自然の力がはたらく限り、それは一種の過程的な体験として、生かされるはずである。真に霊活なる自然界からみると、絶対の悪というものはありえないからである。

*むかし、天と地は一つであり、神と人とは同じ世界に住んだ。それで、心の精爽なものは、自由に神と交通することができた。神の声を聞きうるものは、聖者であった。

4/11
*[万葉]の歌に「見れど飽かぬ」「見る」「見ゆ」というように視覚に訴えていうものが多いが、それらは視覚を通して存在の内奥の生命にふれようとする、呪的な魂振りの行為であり、それは山川草木をはじめ、およそ存在するもの、生命感情の移入しうる一切のものに及んでいる。

4/10
*【つきこもり(晦)】月の末日。月の光が消えてなくなる日をいう。のちの【つごもり】にあたる。その見えはじめるときを【月立ち】、のち【ついたち】という。十二月は特に【おほつごもり】といい、その日に祖先の霊を迎え、「みたまの飯(いひ)」を供えて祭ることが行なわれた。

4/9
「命を知る」とは、与えられた命を自覚し、それに対応するということであろう。天命は自己の実践的な修為を通じて自覚される。単に所与的なものではなく、自己の行為を媒介として自覚されるのである。

4/7
神の訪れは、夜更けた暗黒のときに、ひそかな「音ずれ」として示されるのである。そのようにひそかに暗示されるものを音という。闇黒とはただ光のない世界というだけでなく「神の音なふ」世界である。

4/6
【意】の字形に含まれている【音】は、神の【音なひ】【音づれ】をいう字である。識られざる神の【音なひ】のように、心の深いところからとどめがたい力を以てあらわれてくるものを【意】という。

4/5
【黒】の色相にもいろいろあって【玄】はbrown black【緇】はpure black【烏】はcarbon blackである。

アラカワシズカとシラカワシズカは一字違いや。しかし、むこうはすーっと滑って世界一になったのに、こちらは孜々何十年もやってきてまだまだやからなあ。それにしても金メダルでよかった。

4/4
【社】は[万葉]の借訓に【社(こそ)】とよむことが多く、【こそ】は[記、応神]「比賣碁曽社(ひめごそのやしろ)」[垂仁紀二年]「比賣碁曽」[肥前風土記]「姫社(ひめこそ)の郷」はみな韓国渡来の神である。

客神は海上からくるというのが、わが国の古い伝承であった。しかし東方を除いて、はて知らぬ山谷を擁する中国では、まず長江のかなた、太陽のかがやく南方温暖の地に異様な生活を続ける南人たちに、異族神へのはるかな惝怳をよせた。

【巫】と【舞】【儛】とは同音。舞の初形は【無】で、請雨の舞を示す字であった。のち両足の舛の形をそえて【舞】【儛】となる。わが国の「かむなぎ」も、もと舞容を以て神を和げるものであったことは、「天の磐屋」における神楽舞の故事によって知ることができる。

4/2
【不】は花が散ったあと萼柎(がくふ)のみを残している形。

【壊】はもと【懷】に作り、褱声。【褱】は【衣】と【眔(なみだ)】とに従い、死者に涙をそそいで懐しみ悲しむ意を示す。【土】は杜の初文で、産土の神をいう。その杜に眔するのは、故郷を失ってその地を大去するときの礼で、国の崩壊し滅亡することをいう。その地霊に訣別する儀礼を示す字である。

恋愛詩では、食事をともにすることは、愛の成就を意味する。[詩経]では、女が「我と食せず」といえば男に相手にされぬことであり、「いつかこれに飲食せしめむ」といえば、許してもよいという表現である。

4/1
国語の【いくさ】は弓に関する語で戦いを示し、漢字の【軍】は兵車の旗を以て戦いを示す。【戰】は【單(たて)】と【戈(ほこ)】の会意で、これは歩兵戦のありかたを示す字である。国語の【たたかふ】も【楯交ふ】の母音交替形であると思われ、戦う方法を示す語である。