変化するにちにち, 歌う

「ミサ・ソレムニス」終えて静謐

演奏会前日土曜日の一日は賜物の感。夜は真央ちゃんの更なる風格、優雅を併せ持つ滑りに、わたしもさらなる涙腺の緩みを味わい、良き演奏会となるべく明日が待っているように思われた。

当日朝、百会から足の裏まで緩めて、新聞を読む気にはなれなかったが、東京新聞「松風庵主」の言葉は覗いた。「褒められても謗られても動揺しないのが各人の本心なり。それを知るなり」、演奏会後の戒めと受け取って、いざ!新宿文化センターへ。

肩の力が抜けている感覚を保ちつつ、力まず、われを忘れることなく、高音に向かった(つもり)。歌い終わってもほとんど疲れがなかった。だからと言って発声がちゃんとしていたかについては、そのつもりではあっても甚だ心もとない、精進あるのみ。

それにしてもソリストの方たちの情感たっぷりの歌はもちろんだが、謙虚さには敬服する。打ち上げでのそれぞれのお話では、「歌う」ことの大変さもうかがい知れて、遠い存在が一気に生身の、人間味を帯びた愛すべき「ひと」としていとおしく思われた。

去年のような虚脱感はなし。演奏会が終わっても、家に帰り着いてからも、疲れた感がなく不思議な感覚のなかで静謐の空気感に包まれている。外の光も静かである。

この一年、「今の自分」よりさらなるに高みをめざして、焦り迷いながらまさに呼く息、吸う息とともに身体感覚を養うためにひたすら格闘するという濃厚なものだった、豊饒と感じる。

聴きに来てくれた友人たちに感謝!

さあ来年に向けてシューベルトを!というところにはまだ至っていない。今週末から母の介護に九州に帰る、気分転換も兼ねて。