変化するにちにち

出会うべくして出会う

『街場の戦争論』(内田樹著、ミシマ社)を、3月に一度読んだだけだったので、お盆のせめてこの時期だけでもと読み始める。3月に読んだときは恥ずかしながら初めて知ることばかりで内容も文も難しかった。
第三章までは内容が内容だけにゆっくり、心して読む、愕然としてため息ついたりしながら。

第四章「働くこと、学ぶこと」はほとんど身体について書いてあるので、文体には慣れている(と勝手に思い込んでいるだけかもしれないが)。ふむふむ、あそこにも書いてあったじゃないのとニヤニヤしながら(たぶん)。

竹内敏晴
だが「身体で聴く」のページに来たとき、何かが起こった。3月に一度読んでいるはずなのに初めて出会ったとしか思えない。竹内敏晴(名はぜんぜん知らなかった)について書いてある。「言葉が人の身体に触れるということについてもっとも深い省察をおこなったのはたぶん竹内敏晴さんだと思います」に始まり、2ページにわたって書いてある。読んでいるうちに熱くなる、この人の本が読みたい。

早速借りて『声が生まれる』『思想する「からだ」』『「出会う」ということ』『老いのイニシエーション』を猛スピードで読む。内田樹風に言えば、「難しくて何が書いてあるかよく分からないけど、何かものすごく大切なことが書いてあるということだけは分かる」ということだろうと思う。
からだ全体をかき回し朦朧とさせる。こういう本が私は読みたかったんだという高揚感の中で閉じこもって読む。まだ読みたくてあと3冊を予約した。

読んだあと外に出ると、「世界がなにか今までと違って見える、見知らぬものとして立ち現れる」(竹内敏晴『「出会う」ということ』  藤原書店 / 218頁)世界をたっぷり味わって雨の中を森を歩く。