変化するにちにち

失くし物は「何か」との相殺

7月21日(火曜日)
さんざんであるかないかは後で分かるだろう。「塞翁が馬」であることを願う。
朝、合唱に行く。沖縄の柿渋染の麻の上着をつけて、あるかないかの涼しさ心地よさ。夜も行く、楽譜に慣れるために行く。麻を羽織って。

歌って熱くなって麻は手提げに入れた、つもり
帰りに2ℓ入りのお水を買って、スイカも買って(切ったもの)重いけど、さあ帰ろう!…あれ…あれ…、上着は?お店に置き忘れ?
お店にはない、もと来た道を辿る、ないからさらに歩いて、更に練習会場まで、届いていない。水、スイカの重さと自分の重さ…、汗をかいている暑いはどうでもよい。

そうか相殺だ!   昨日「樹くん」の本を読んだばかり(3,4冊を斜め読みしてしまって…どの本だったか?)。「失くし物をしたら、これから起こったであろう『何か』との相殺なのだ、前もって税金を払ったと思うようにしている」という武道家甲野善紀氏の話として書いてあった、しかも前日、これもご縁、相殺だ。

寝る前に一生懸命考える。どこに置いたのか落としたのか、まだ考えて考えて、ああそろそろ眠りそう…と思ったところまでは覚えている。その後すぐに眠ったのだろう。
夢に「樹くん」が来る。内容は覚えていないが「さわやか」感が残っている、相殺。