変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

母が胃瘻について語る

昨日の夕方の散歩の帰り道「ここには誰が住んでいたのか覚えていない」と母が言う。朝の散歩で出会った人が、隣家のその人のことを話したばかりだったので、今は胃瘻して施設にいると説明する。胃瘻って何のことかと案の定母が聞いてくる。自力で食べられなくなった時、身体に管を通して栄養を摂ると簡単に説明する。

「そしこまでして生ぎっつはねぇ(生きるとはねぇ)、んーだ、そごづいして生きろごだなが(私はそこまでして生きたくはない)」と独り言、つぶやくように言う。

残酷なようだがこれを聞けて良かったと思う。何かが起こって胃瘻するしないになった時、後継である弟が決めることだが、少なくとも母の言葉、そして母に同意する自分の気持ちを伝えることはできる。

朝晩お経を上げ、説教好きの祖父のもとで小さい頃から生きる死ぬを見つめ考え続けてきた母にとって「死ぬ時節には死ぬがよく候」との考えであろうことは日常の話の節々からも容易に想像できる。