変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

「こうま」のお彼岸のお勤め

朝9時からだ。赤い経本、数珠を皆持って来ている。「こうま」(講間?)の集まりではお坊さんは居ない、「こずどん」と呼ばれる一般の人(役員)の声に合わせて正信偈を読む。

「どん」とは「西郷どん」のように「さん」の意味だから漢字は「小主さん」「小僧さん」だろうか? 小さな法事などはお坊さんではなく「こずどん」を頼んでお経をあげてもらうらしい。

それも頷ける、徳川300年間は薩摩には1つの寺もなく、1人の僧侶もないなか、門徒のみで隠れて念仏を守り伝えたと聞く。

小さい頃は祖父も「こずどん」として呼ばれて、その帰りにわが家へ法事のお菓子を持って来てくれて嬉しかった。

昼間は誰もいないような小さい地区のこの山峡で今日は15、6人集まる。兄の、姉のそして私の同級生もいて声をかけてもらった。

「こずどん」が私の紹介もして下さる。「東京から交替でこうして来てくれる、感心など……」のひそひそ話も聞こえて嬉しい。

今の時代、もし他所から嫁いで来て(いる様子はないが)宗教が違ったら大変なのでは、と余計なお世話も考えたりする。

母は相撲観戦中
勝負ごとは面白いと新聞とにらめっこしながら。デイサービスでも競争となると目つきが変わるらしい。帰ってきても、勝った、計算も速いと自慢したりする。楽しんで行ってくれて有り難い。相撲のある時期は母も楽しめる時間が増える。

様子は毎日パスワード付きの兄弟間のブログにアップしている。コメントは力になる。兄が福岡は黄砂、PM2,5が高く外出を控えるようにとの注意が出ているという。気のせいか喉がざらつくような感覚。そういえば向かいの山はぼんやり霞んでいる、黄砂だろうか?単なる春霞と違い煙のような……。身体が、気持ちよくないおかしさを感じている。