「ペコロスの母に会いに行く」, 変化するにちにち

♢「続・ペコロスの母に会いに行く」(14) ♢

1/19日(月曜日)はみつえさんに会える日。先週、雲に親の幻を見ながらみつえさんが「ととん…かかん…」、「ととんかかん」(ととんかかん→父さん母さんの註あり)と言っていたように今、子であるペコロスも同じように雲に父母を見る。そしてようやくみつえさんの当時の気持ちに思いをはせるといった内容。「ととん…かかん…」と呟くみつえさんの左手はこぶしを握っている。「こぶし」は、人が悲しい時、どうしようもない時にドンドンと壁や机などを叩いたりするあの「こぶし」だ。当時に思いを馳せるペコロス、母みつえさんの左手にこぶしを握らせるペコロスの心に思いを馳せる。

「そういうもの」なのかも知れない
母という存在は不思議な力を持つと感じる。ギクシャクした関係にあっても、罵られても或いは叩かれても、子はそれとは別の次元で母の元へ戻ろう戻ろうとしているようでならない。
生きものとしてそのように出来ているのか、理屈ではなくただそうなっているのか。鮭が生まれ故郷の川に帰って行くように、泣きたくなくても涙が生理現象として出るように、乳飲児の泣き声を聞いておっぱいが生理現象として出るように、「そういうもの」なのかも知れない。

12月のひと月を実家にいたとき、夕食後ほとんど毎日、母はひとり言のように昔の話をしていた。祖父母、戦死した伯父、先に逝った叔父のことなどエンドレステープ(今テープレコーダーは使わないだろうけど)のように繰り返していた。聞くほうの私は〈ちゃんと聞けばよかったと、母が亡くなってしまったら後悔するだろうな〉と思うのだが、ああまた始まった!とうんざり感を膨らませて結局フンフンと気の無い相槌を打っていたと思う。

毎週月曜日、新聞で会うペコロスの母みつえさんが私を原点に引き戻す。