「ペコロスの母に会いに行く」, 変化するにちにち

「ペコロスの母に会いに行く」の読後感

「なんと人間的な!」
眼差しの柔らかさ、悲しみを内包する笑い、感性の良さが方言と相俟ってじんわり沁み入り、読み手は心地好い身体感覚を味わえる。
わがふるさと阿久根と言葉が近いせいか、まるで自分の母と一緒にいるような錯覚に陥らせてもらえる。そして笑いの後に残るたっぷりの悲哀感。次に帰ったらもっともっと母の「思い」を客観視できるかもと思わせてしまう説得力は、作者の表現力以上に人柄、感性から来るものであろう。

「そげん怒んなあ」「もうしぇんけん 怒んなあ」「もうしぇんて」「怒っとらんや?「もう しぇんけん…」」「もう なーんもしぇんけん」「なーんもしーきらんけん」(ルビ:怒→おこ)

上の「」内は、認知症の進む母が駐車場で息子の帰りを毎夜毎夜待っていて、怒る息子に言う場面である。(第二章 80頁~83頁)
そんなに怒るな~もうしないから 怒るな~もうしないから(と言ってるでしょう)~怒ってないか?~もうしないから…~もう なんにもしないから~なんにもできないから
と母は言葉を発しながら自らの言葉に乗せられるように、だんだん思考力も深まり同時に悲を帯びてくる。特に最後の「なーんもしーきらんけん」は〈何~んにも出来ないようになってしまった、出来ない身体になってしまった、こんなに年をとって、しようと思っても出来ない身体になってしまったという、母の来し方の思いと同時に人生の哀感が滲み出る。「忘れ」「判断力」は劣っても人としての感情はそのままという認知症の母への温もりが溢れる。

《詠う》
《 ただいまと帰りうるふるさと息を吸い古き戸を開ける ただいま母さん》
『好日』2013年9月号 より

《いちだんいちだんひとあしひとあし無人駅の石段踏みしめ ふるさとを去る》
《両手振り見送る母を置き去った ひと月のちも母が手を振る》
2014年4月号より
去年6月に帰った時の思いである。2月に法事で帰ったとき母の様子があまりにも違うと感じ、用事はなかったが、「京都に行くついでに来た」と母には告げた。